「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

新芽

一年前の冬に買ってきたシクラメンが今年も見事に花を咲かせた。毎年のように冬になると買ってきてはいるけれど、ひとシーズン限りで終わってしまっていた。まるで一年草のように。それが再び花を咲かせたのだ。

我が家では、鉢植えの花は買っては来ても、次のシーズンも花をつけることはなかった。花にはかわいそうな思いをさせてきたものだ。もっと管理して育ててあげればいいのに、忙しさにかまけて、というより、無関心・怠慢に陥り、ほったらかしにしてしまうのだった。それが今回は、驚きである。

一年間、何をしたというわけでもない。ガラス窓の下に置いておいて、時折、土の表面が乾いたら、水遣りをしただけである。見えないところで、しっかり命がつながれていたということだ。

私事であるが、私は「待つ」ことが大の苦手である。短所・長所というのではなく、「苦手」なのだ。幼いころから今に至るまで、とにかく「待つ」ことが大嫌いだ。行きつけのラーメン屋に行っても待ってるお客が1〜2人だったら待つけれど、3人待ってたら別のお店に行ってしまう。名前を書いて待たされるお店があるが、連れ合いがいれば数人待たされることは我慢できるが、自分ひとりで行ったら、大抵、退却する。「本を読んだり、スマホでもいじってればいいじゃん!」と言う人もいるが、「待つ」気になれないのだ。

そんな性格だから、とにかく、やることは速い、と自分では思う。成功の鉄則に「今やる。すぐやる。全部やる。」というのがあるが、自分は、まさにそうしている方だと思う。思い立ったらすぐやる。世の中のいわゆる「成功者」は「3分で結論を出す。3分で結論を出せない案件は3日で結論を出す」らしいが、自分もそれに近い。自分が成功しているかどうかは大いに疑問だが、優柔不断であったり、あれこれ結論を翻したりするのは、時間の浪費であり、徒労であると思っている。やるならやる。やらないならやらない。いったん決めたことは覆さない。そして今まで、「早まって失敗した」ということはない、と思う。逆に、「あの時やっておけばこんなことになってなかったのに」ということは何度もある。

昨年11月に車のタイヤ交換が必要だといわれていながら、「まだ大丈夫だろう」と気にしながらも、何もしないままにしておいたら、先日、あろうことか高速道路でバーストしてしまい、60kmの距離をレッカー車で運んでもらう羽目になった。那須に父の湯治に行った際、タイヤチェーンを準備して行こうと思いながら「まあいいや」と行ったら、大雪に見舞われ、急遽、一泊キャンセルして大慌てで撤退してきた。気になったら後回しにしない。曖昧なままにしない。すぐに行動に移す。その大切さが改めて身に沁みた。

家庭菜園で野菜を育てている80歳近いおばさんとの会話である。

「野菜を育てるのでも、育て方で形のいいものとそうでないものができるのよね。」

「ほって置くだけじゃだめなんですね。」

「肥料を遣るのと遣らないのとでは、またぜんぜん違う。」

「手間がかかりますね。」

「そうね。でも、いいものを作ろうとすれば、やはり、手間ひま掛けないとね。」

「種を蒔いて実が生るまで、何ヶ月か待たないといけないですよね。僕はその『待つ』というのが苦手で。すぐに結果が欲しい方なので。野菜なら、わざわざ育てるよりスーパーで買っちゃったほうが手っ取り早いし。」

「その、育てる、というのが一つの楽しみなのよ。野菜作りと人を育てるのと、似たようなものかもよ。」

「野菜作りでもすれば、性格も変わりますかね。」

「そうかもしれないね。」(笑)

すぐにやること。待つこと。一見、逆のことのようだが、どちらも大切なこと。まだまだ自分も成長の余地がたくさんあることに気付かされる。でも、待つことで、きっと、あのシクラメンのように、再び花を咲かせ、見事な野菜となれるのだろう。「待つ」ことで。

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