「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

我流

「北海道にどうやっていく?」
「もちろん、飛行機でしょ。」
「今回は車で行こうか?」
「えっ?何言ってんの?本気?」
「うん。だって、時間はあるし、急ぐ旅じゃないから。」
「何時間かかるの?」
「青森までは高速で7時間くらい、それからフェリーで函館まで3時間半くらい、函館から札幌までは4時間半くらい。朝6時に発てば夜には着く。」

以前、北海道にキャンプに行ったことがある。ステップワゴンにテント類一式と家族5人、祖母も一緒の時は6人を詰め込んで、初回は函館の大沼湖畔、2回目は屈斜路湖畔、3回目は利尻礼文だ。3年連続で行ったのだ。車の運転は苦にならない。十年以上前のことだったが、今でも同じようにしようと思えば、できる。その面では気力も体力も衰えていないと言える。

富士山の登山ルートは4つある。エベレストの登山ルートは前人未踏ルートが開拓されるので無数と言ってもいい。登山者によって頂上への道は新たに開拓されるのだ。

大学時代、夏休みや冬休みに水道の蛇口に取り付ける浄水器の訪問販売のアルバイトをしたことがある。国土地理院発行の2万5千分の1の地図を5センチメートル四方に切って渡された。「任地」だと言う。その任地内の家を隈なく訪ねて売り歩くのだ。都市部であればいい。住宅地には一軒家が密集している。一方、田舎は大変である。地図には家の記号がポツンポツンとしかないのだ。実際、その地に立ってみると、家と家の間は200mは、裕にある。一面、田んぼや畑なのだ。呑気に歩いていたら到底一日では歩き回れない。時間もかかる。「走れ」と言われた。仕方ない。こちらも売らねばならない。納得である。

ところが、家から家まで普通に道を歩いたら時間がかかる。効率が悪い。よし!向こうに見える家に向かって一直線。道ならぬ道をかき分け、最短距離を突っ走った。田んぼや畑を荒らしながらの荒業である。最初は抵抗があった。誰かに見られて怒鳴られはしないか、追いかけられはしないかとビクビクもしたが、杞憂だった。気を良くして、レンジャーさながら荒らしまくった。朝8時くらいから夜9時くらいまで、それが毎日の「仕事」だった。文字通り、朝から晩まで走り回ったのだが、疲れを感じた記憶はない。一カ月の実績は、300人くらいいる中で、断トツ、一位だった。自分は当たり前のように走りまくり、道ならぬ道を行ったのだが、ほかの皆さんには、「異様」に映ったようだ。

「やり方」に定めはない。実績を上げる人は「ガムシャラ」にやったと言う。「無我夢中」だったと言う。周りから見ると到底できないと思われることを当たり前のようにやっている。「我流」でやっている。型にはまったやり方は正攻法であったりするのだろうが、没個性であるとも言える。自分のやりたいようにやってみることを重ねて、自分のスタイルが確立されていくものなのだ。

『打つ手は無限。』『必ず道がある。見つけ出しなさい。』瀕死の状況に直面した時、人はできることは何でもやる。手を尽くす。『やってやれないことはない。やらずにできるわけがない。』

振り返れば、何とかなってきた。皆、そうだろう。が、目標なりを設定し、それを成就させるという成功体験の積み重ねが自信になるという公式をそのまま実行して証明した人は、そう多くはないのではないか。一見、無謀に思える目標に向かってひたむきに進む。実はそれ自体が人として価値あることのように思える。成就することはもちろん尊いことだ。が、成就しなくても、いいのだ。

「北海道に車で行く」という計画は、次女が「北海道から車で来る」ことで決着がついた。5日間かけて寄り道しながら、大番狂わせのハプニングで「事が成就」することで、幕が降ろされた。

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