「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

生業(なりわい)

「せがれに事業を任せようと思って準備を始めてね。」
「えーっ?まだお若いのに。」

パッケージ類の卸業を営むK社長はまだ50台後半、ロータリークラブの現会長を務め、20以上の公職にも就いている仕事人間である。

「時代だね。いつまでも今までのようなやり方をしていたら置いていかれる。何でもかんでもインターネットだ。昔は商品の展示会があると言えば出向いて行って商談をし、担当者が直接納品に来てくれ、集金にも来たもんだ。でも、今はインターネットで商品を検索し、クリック一つで注文し、翌日には宅配業者が持って来る。支払いは自動引落しやネットバンキングだ。人が必要なくなってきているし、スピードについていけなくなってきた。」

「お店はどうするんですか?」
「畳むしかないね。」
「…。創業何年でしたか?」
「明治の初めからだから150年くらいにはなるかな。」
「凄いですね。でも、残念ですね…。」
「仕方ない、というのはこういうことだよね。もう、どうしようもない。」

K社長は全く観念した、という表情で生気なくぼそぼそ重苦しく話した。先祖代々続けてきた生業を自分の代で廃業させることは、さぞかし心苦しいことだろう。苦渋の選択だったに違いない。

「これからどうなさるんですか?」
「隠居しようと思う。」
「えっ、まだお若いのに。」
「もう、やりきったさ。今まで仕事仕事でやってきたから、これからは好きなように過ごそうと思ってね。」

その言葉にはショックだった。一瞬、言葉を失い時間が止まった。歳は自分と変わらない彼が「隠居」とは。自分の中にはそういう価値観がない。生きている以上は社会に関わりを持ち続け、むしろ影響を与え続けていきたいと思っているのに、一方で社会と一線を画そうとしている人が目の前にいるのだ。確かにKさんは仕事一本槍だった。毎夜、接待で会食。毎週末には接待ゴルフ。休日は皆無だったのではないか。彼の中では「けじめ」ができたのだろう。

サッシ屋を営むSさんは70歳半ば。酒焼けして深い皺の刻まれた顔面からは「まだまだ現役」を感じさせる。ニコニコして挨拶もせず入ってきた。まるで自宅に帰ってきたかのようだ。私の訪問先のNさん宅に集金に来たのだ。

「どうもどうも。いつもすいませんね。」Nさんが言うと、
「いやあ、暑い暑い。特に今日は暑い。まいったまいった。」と、差し出された冷たい麦茶を一気に飲み干し た。

Sさんは家業を数年前に長男に譲り、今は主に集金にだけ回っているのだそうだ。何もしていないとボケてしまうので、こうしてお客さん回りをしているのだと言う。Sさんには「隠居」は似合いそうもない。K社長と重なった。生き方、生き様はそれぞれだ。それぞれの事情を背負ってそれぞれの人生の選択をしている。是でも非でもない。成り行きであるかもしれない。でも、それが「生きる」ということなのだろう。

SさんはNさんとひとしきり世間話に花を咲かせて「じゃあ」と言って去って行った。すがすがしい空気が残った。庶民の平和な生活がそこここにあるのだ。ほのぼのとした幸せな気分にしばし浸る、暑い一日を過ごした。

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