今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲
時流
「おはようございます。」
「おはよう。」
「いつもありがとうございます。」
「今日は早番がやって来て、私が来るより先にこうやって突っついていったのよ。全く油断も隙もあったもんじゃない。」
「カラスも勤勉ですね。」
「何言ってんのよ。あっちなんか見なさいよ。あんなに散らかされちゃった。」
見ると50mくらい離れた収集所はカラスに突っつかれて無惨にも飛散されている。
「ここはTさんのおかげでいつも事無きを得ています。本当にありがとうございます。」
「私のうちの目の前だからね。散らかされちゃ、イヤだしね。」
近隣のTさんは70歳を越えたおばさんである。可燃ごみ収集日に自分の家の周りの掃き掃除をし、周辺住民から集められたごみを整頓し、ネットをかぶせてごみの下にしっかり噛ませ、カラスの攻撃を防御しているのである。
カラスも賢い。道路側の防御にはかなわないと思ったのだろう。公園のフェンスの内側から突っつき、悲惨な目に遭ったことがある。そこで、我が家の隣に住むおじさんが木の板を公園のフェンスに結わいつけたのだ。家にあった廃材を使ったのだそうだ。
「皆で知恵を出し合ってやらないとね。Kさんが取り付けてくれたから内側はもう大丈夫。」
おばさんは安心し、誇らしげに笑みを浮かべた。
「それより、この辺は大変なのよ。Kストアもやめちゃった。T屋さんもやめちゃった。Rさんも、もうやめようかなんて言ってるの。」
「え〜っ?」
「そうなのよ。個人店は大変なの。大きなスーパーが2つもできて、ドラッグストアも7つもできて。皆そっちに行っちゃうから。」
「そういえば、そうですね。大きいのがいっぱいできましたね。」
「時代なのね。仕方ないのかしらね。」
自分も地元の「〜屋さん」でなく大手スーパーやドラッグストアを利用する派なので、そういう状況を聞いて気の毒な気がしたり仕方なさを感じたりと、複雑な思いがした。
「皆で助け合うのがいいのだけどね。皆も歳とっていくし、周りもどんどん変わっていくしね。お祭りの準備にしたって若い人が全然出てきてくれないので年寄ばっかりになっちゃって。これからどうなるのかしらね。」
耳の痛い言葉が連発した。気持ちはいつまでも若いつもりでいるのだが、確実に歳はとる。環境は変わる。今の状況が「永続」することは絶対に、ない。動けるうちに次の手を。やばくなってからでは遅い。「転ばぬ先の杖」が必要だし、「備えあれば憂いなし」である。
周りのお店がやめてしまった中で一人頑張っているRさんの姿を時々目にする。背筋はピンとしていてしゃきっとしている。頭に鉢巻をしている。いつも。白いタオルで。段ボール箱を抱えてお店と軽トラを往復している。そんな話を聞いてからというもの、どこかしら健気でもあるし、痛々しくもある。かといって、改めてRさんのお店で買おうとは、ごめんなさい、正直、思えない。世の中はある面、無慈悲なものだ。「仕方ない」ことが、どうしたってある。
「人生は出会いと選択の連続」と言われる。何に出会い、何を選択するか。私達の価値観をもう一度、見直してもいいのではないか、そう思う。