「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

キュリー夫人の伝記の中に、ラジウムを発見するまでの長く辛い苦悩がキュリー夫人の娘の手で書かれています。

夫のピエールと二人でラジウムが存在することを確信した後、二人は納屋を利用した実験室で四年もの長く厳しい闘いの末、ついにラジウム発見を成し遂げたのです。その四年間は失敗と失望と当惑とに満ちた年月でした。彼らはコツコツと何トンものウラン鉱の残留物を一キロごとに分断して分析したのです。そして、ラジウムが含まれていることを確認したのです。

実験は失敗ばかり続きました。キュリー夫人の伝記の映画の中では48回目の実験が失敗に終わったところで夫が絶望してくじけてしまっています。

「無理だよ、やめよう。」と夫は叫びました。

「できっこない。100年もかければ可能かも知れないが、とりあえず僕らの生きているうちは無理だよ。」
キュリー夫人は、はっきりと力強く答えました。

「もし本当に100年かかるのなら、それは無理ね。でも、私は自分の命のある限り、勇気をもってやり続けるわ。」

ある晩、夫人は早目に病気の子供を寝かしつけようとしていました。ようやく幼い子供が眠った時に、彼女は夫に言いました。

「ちょっと実験室に行ってみない?」

彼女の声には訴えるような響きがありました。その時、ピエールも彼女と同じように燃えていました。早く実験室に行きたかったのです。二人は手を取り合って、通りを抜けて納屋の実験室に向かいました。

「明かりをつけないで。」

彼女はピエールがドアのかぎを開けた時に言いました。それから、ちょっと笑って付け加えたのです。

「ねえ、あなたは私にラジウムは美しい色をしていてほしいねと言った日のことを覚えている?」
なんと、彼らが納屋に入って行った時、言葉では言い表せないほど美しい青い炎が暗闇の中で輝いていたのです。二人は言葉もなく見つめ合いました。青白いチラチラ光る不思議な光源でした。ラジウムです。彼らのラジウムです。二人の不屈の精神と忍耐に対する報酬でした。

シカゴのハル・ハウスの創始者で有名なジェーン・アダムスは、人生の目的をわずか6歳の時に見つけました。彼女はイリノイ州フリーポートの裏通りの貧民街に大きなショックを受けました。そこの住民の貧困と惨めさに目を覆いました。その光景は、彼女にとても強い衝撃を与えたのです。彼女は大人になったら自分の住んでいる家のように大きな家をフリーポートの裏通りに建ててあげたいと言うようになりました。

その6歳の時の気持ちは決して彼女から消えませんでした。その気持ちが彼女の能力を生かす核となったのです。ハル・ハウスは彼女の子供の頃の夢の実現でした。フリーポートの小さな貧しい家並みの真ん中に建つ大きくて温かい家となりました。

英国のエドワード七世は、かつて救世軍の創始者であるウィリアム・ブース将軍に言いました。
「あなたは何故そのように過酷でしかも全く報われない仕事に自分を捧げることができるのですか。」

ブース将軍の答えは明快でした。
「ある者は名誉を渇望します。ある者はお金に情熱を注ぎます。私は魂に情熱を感じるのです。」

情熱を捧げることのできる何かを持つことが幸福の実感を得る第一条件なのだろう。可能性や夢という観念の世界を強く抱き、その実現に向けて不断の努力を重ねる。「今は三年前の結果であり、三年後は今の結果である」という。蒔いた種を刈り取る三年後に向けて今、蒔くべき種をしっかり蒔き続けよう、そう思う。

TOPへ戻る