「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

孤高

「ボールをよく見てラケットを振って。」今年の元日、李娜(34)は中国の広東省深曙V市で約30人の小学生を相手にテニスコートを駆け回った。

絶えない笑みにコート脇のファンから「現役時代とは別人」と声が漏れた。「子供達には心からプレーを楽しんでほしい。」一時間余り指導した後の声は弾んでいた。

一昨年に引退するまで2011年に全仏オープン、14年には全豪を制した。世界四大大会のシングルスで勝ったアジア人は後にも先にも彼女だけだ。輝かしい戦績とは裏腹に、彼女がテニスを「楽しい」と感じたことは数えるほどしかない。

故郷の湖北省武漢市で才能を認められ、8歳から英才教育を受けた。社会主義の中国ではスポーツは国威発揚の道具で、選手も“官制”。出世のかかるコーチから罵声を浴び続け「彼女の心はボロボロだった」と当時を知る地元新聞記者は言う。

行動や発言の自由はない。国内で既にトッププレーヤーになっていたが「ケガ」を理由にラケットを置いた。20歳の時だ。世間は疑いの目を向けた。「国に育ててもらったのにわがままだ。」メディアも国民も容赦なく批判した。

2年が過ぎ、平凡な大学生活を送る彼女に擦り寄ってきたのは国の方だった。「戻ってくれないか。」威信をかける北京五輪は4年後に迫っていた。コーチは自分で選ぶという異例の要求が通り、04年に現役復帰した。

北京五輪で4位に入ると国はさらに譲歩し、練習や遠征の自主性を認めた。獲得賞金から国への上納金比率も通常の65%から約10%へ軽減した。

「国のためにプレーしているんじゃない。」胸元から赤いバラのタトゥーをのぞかせ奔放に振る舞う姿は「愛国心不足」と非難された。が、世界ランキングは最高2位に上り詰めた。結果を残すにつれて「評価が少しずつ変わるのが分かった。」(元コーチの潘兵=45)

「感情を表に出し率直に話すのが好き」(24歳の男性)。ウェブ上に「あなたが正しい」という書き込みが次第に増えた。膝の故障から32歳で2度目の引退を決めたが、涙交じりの記者会見に文句をつける声は誰からも出なかった。

民主化途上のアジアでは、国家が「個」を管理しようとしがちだ。だがスポーツだけでなく芸術や科学技術でも、一人ひとりのひらめきこそが創造の源。上からの押し付けで世界と競わせるアジアの限界はそこにある。

国家管理が特に厳しい中国で、抜き出た実力で自我を通した李娜は例外だ。それでも「小李娜(次の李娜たち)という言葉が生まれ、プレーを楽しむ風潮も芽吹いた。「辛かったけど自分に嘘はつけない。」国威に一石を投じた元女王は「生まれ変わっても同じ人生を選びます。」と微笑んだ。

中国は2000年のシドニー五輪のメダル獲得総数で初めてトップ3に食い込んだ。特に国の威信をかけて臨んだ北京大会はメダル総数を100の大台に乗せ、うち金メダルは51で初の首位だった。

躍進を支えたのが計画的な選手育成システムだ。区、市、省の各行政単位の大会で勝ち抜いた子供は市や省の「体育学校」と呼ばれる上級の専門学校で練習漬けの毎日を送る。全国で約300校に30万人が在籍するとされる。国家管理下で才能を認められた選手には年齢に関係なく国から給料が支払われる。五輪で活躍すれば手厚い報奨金を得られる。有力選手の輩出は関係者の昇進や報酬に影響し、スパルタ教育の背景でもある。

有能な者ほど苦悩する。才能に恵まれた者の宿命である。「才能が仇になった」とも言えないこともないが、どんな言い方をしても当の本人には馬耳東風に違いない。外野には言わせておけばいい、と思っているに違いない。「世の人は我を何とも言わば言え我がなすことは我のみぞ知る」と幕末に既に坂本龍馬は語っていた。孤高の人の心境である。

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