「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

屋根の上で寝そべっているスヌーピーに対してルーシーが言った。

「あなたは人生を無駄に過ごしていると思うわ。あなたにできる千ものことがあるに違いないというのに。」「犬であるってことはフルタイムの仕事でね。」

スヌーピーに言わせれば「ルーシーは僕がヒマで寝ているかサボって寝ていると思っているだろうけど、僕は僕で『犬』という仕事を24 時間365 日一生懸命やってるんだよ。疲れることだってあるし、こうして寝そべっていたっていろいろ考え事だってしてるんだ。」ということになるのだろう。しかしルーシーに向かって口ごたえしないところがスヌーピーらしい。「自分の尺度を僕に押し付けないで!」とは決して言わないのだ。そして、人は「生きている」ことそれ自体が、実は大仕事なのだ。スヌーピーは、そう言いたいのだとも思う。

中華料理店で厨房を見ていると、料理人は中華鍋一つで煮て、炒めて、揚げている。見事な芸当である。家庭でも真似できないかと思わされるが、自分が日ごろ料理するわけではないから、余計なことは言わないことにしている。下手なこと言ったら火種になる。

本は本当に好きな本、保存性のある本だけを買って図書館を利用するようにする。雑誌や旅行のガイドブックなど、早晩、古紙回収に回すことになることが目に見えているようなものは極力、図書館のお世話になる。

旅行に行くと写真を撮りまくる人がいる。今はスマホのおかげで手軽に日常的に写真を撮れる。思い出を写真に収める、という行為はあっていいと思うが、程度問題である。私は写真好きで大きく重たい一眼レフを首から提げて旅をしては写真をよく撮っていた。が、デジカメの時代に入ってぱったり撮らなくなってしまった。シャッターを押してから切れるまでのタイムラグがストレスで、やめてしまったのだ。今でこそ性能が良くなってそのようなストレスは感じなくなったが、その時以来、風景を鑑賞し風景に浸ることが自分の旅のスタイルとして定着している。

衣類は傷むまで身に着ける。流行はあまり関知しない。遊ばせる服は無い。もっとも「もっとセンス良く着こなして欲しい」と小言(助言?)を頂くことはあるにはあって、それが「是」と感じればその言葉に従うこともあるにはある。

こんなことを書くと各方面から批判を浴びそうだ。一つだけ敢えて書き加えるが、「所有」することによる「幸せ」を否定しはしない。スヌーピーがいみじくも表現したように人には人の価値観があるのだから。

如何に物を少なく済ませられるか。物に囲まれ物に存在感を感じる生活から、内面的な財産を積むことを価値化する生活に転換することが現代人には求められているように思える。「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは虫が食ったり錆びついたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は天に積みなさい。そこでは虫が食うことも錆びつくこともなく、また、忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところにあなたの心もあるのだ。」(マタイ伝6:19〜21)二千年前に既にイエスによっても語られていた。

ライナス「悲しみを癒してくれる薬ってどんなものかなぁ。」

チャーリーブラウン「一粒のチョコレートと背中を友達がポンと叩いてくれることだよ。」

スヌーピーはルーシーやチャーリーブラウンと同居しながら親友としての絆を結んでいる。そしてお互い信頼し助け合い時には愚痴を言い合いながらも励まし合いながら生きている。それがなんとも幸せそうで微笑ましい。自分の日常もそうでありたいと思う。

Be of good cheer. Do not think of today’s failures, but of the success that may come tomorrow.(元気を出しなさい。今日の失敗を考えるのではなく、明日訪れるかもしれない成功について考えなさい。)〜Helen Keller.

三重苦のヘレンケラーもサリバン先生との運命的な出会いによって絶望から蘇り生かされた。待つこと、希望を持ち続けること、諦めてはいけないということ。人類の歴史は教えてくれている。

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