「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

守護

バルセロナを深夜に発ち、早朝6 時頃、ローマのテルミナ駅に到着した。
右肩から斜めにショルダーを下げ、両手にはスーパーマーケットのよじれた袋。腰にはウェストポーチ。実は一週間前、リスボンで置き引きに遭い、衣類や寝袋の入ったメインのリュックを失くしていたのだ。幸い金目の物はリュックには入っていなかったのだが、36枚撮りのフィルム40本を失ったのは痛かった。もとより一人旅。趣味の写真を撮りながらの放浪の旅のつもりだったが、始めて2週間後の災難には、正直、傷心していた。

「さて、どう歩こうかな。」大切なガイドブックも失っていた私はツーリストインフォメーションに重い足取りを進め、絵葉書を物色、フリーの地図を入手して左手に持ち「よし、駅を出たら大通りを目指すぞ。」と駅を出ようとした瞬間、4人の薄汚れた衣類をまとった少年少女が何やらムニャムニャ言いながら私に近づいて来て、ちぎれた汚い段ボール紙を腰の周りにぐるりと押し付けたのだ。

私は突然のことであっけにとられた。「この子達何だろう。何か欲しがってるんだろうか。」と思うや、成田空港で目にした『警告』が思い浮かんだ。「イタリアを旅行する方々へ。数人のジプシーの子供に厚紙を押し当てられ、手荷物を強奪される被害が特にローマのテルミナ駅で多発している」と。
「あっ、こいつらのことか。」と体をグイッとよじり、段ボール紙の上からウェストポーチを掴んだ。瞬間、子供たちは三々五々、小走りに人混みの中に消えて行った。

「やれやれ。」と一つ大きくため息をついて手を放してみると、なんと、ウェストポーチの中身が空っぽなのだ。

「えーっ!」全身から力が抜けて行った。「どうしよう…。」cashとクレジットカードの入った財布、パスポート、ユースホステル会員証、T/C、金目の物を全部盗られたのだ。私は恰好の標的だったのだ。茫然とはこういうことを言うのだ。「無」になってその場に立ちつくしていた。どれくらい経ったろう。一人の40歳位の男性が声をかけてきた。「どうしたんだ?」訳を話すと、いきなり「じゃあ、追いかけろ。」と言うのだ。

言うより早くその男性は駆け出していた。『ちりぢりばらばらに逃げて行った4人をどうやって捕まえるんだ。』私は内心そう思いながらも、全速力で追いかけていくその男性に必死について行った。その男性は車の往来の激しい大通りを、車をかき分けかき分けすいすいと横切り、ついに、路地を歩いている二人の少女を捕まえた。

「何も持ってない!」というジェスチャーだ。仕方ないと思ったのだろう。男性は今度は向こうに逃げて行った子供を追いかけて行った。「何でここまでしてくれるんだろう。」と私は思いながら、息を切らせながらなんとかついて行った。そしてまたもう一人の男子を捕まえた。その男子は財布、パスポート、ユースホステル会員証、T/C は返してくれた。想定外だった。

「確認してみなさい。」と言われて財布の中を見た。cashは無かった。日本円で3万円ほどだった。偶然近くにいた警官にその男性が事情を説明したが、警官は無表情に聞いているだけで全く頼りなかった。「盗られたら終わりだよ。」と言わんばかりだった。警官に対する信頼を喪失した瞬間でもあった。その男性は「テルミナは危険だ。注意しなきゃだめだ。」と言って、おもむろに立ち去って行った。「グラッツィエ(=ありがとう)。」私はやっとのことで彼の背中にそう言った。「不幸中の幸いだったな。彼は一部始終を見ていたんだ。神様が手を差し伸べてくださったんだ。」私は心底そう思えた。
「もし私がこの世で必要な人間なら、生かして帰してください。」

そう祈って、私は3か月のヨーロッパ一人旅に発ったのだ。当時、神を信じていた私は「摂理」に従順だった。テルミナ以外にエディンバラ、ブカレスト、アッシジ、カイロ、ローマでも災難に遭った。今思うと、よく生きて帰国できたと思う。24年半前のことである。

今でも「自分は守られているなあ。」との実感がしばしばある。ありがたいと思う。
自分の半生の最初の記憶は幼稚園での出来事である。幼稚園は自宅の近くにあるというだけの理由でたまたまキリスト教会だった。「♪小鳥たちは小さくてもお守りくださる神様♪」の讃美歌には慰められた。

50年前のことだ。「三つ子の魂百まで。」今もなお、守護を頂いている。ありがたいことである。

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