「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

針路

全国高等学校野球選手権大会(甲子園大会)は100年。戦後70年。「笑点」50年。フェニックスアカデミー20年。2015年は節目の年である。

歴史も社会も人によって創られる。それぞれの枠組みの中でそれぞれの営みがあり、人も社会もその中で揉まれて変化していく。「ああいうふうに歳とりたいね」と思わされる見本的な人がいる。一方で「ああいうふうには歳とりたくないね」と思わされる反面教師的な人もいる。「ああいうふうな会社にしたい。ああいうふうな会社にはしたくないな」という思いで経営もしてきたが、私という個人もフェニックスアカデミーという法的人格も、望んでいた姿形には恥ずかしながら到底及ばない。何でもそうだが、実際やってみると思い通りにはいかない方が圧倒的に多い。ユニクロの柳井社長も『一勝九敗』という本の中でそう言っていた。

「人は成功からではなく失敗から学ぶ」のは悔しいかな、どうやら真理である。失敗したくないから成功者の談に学び、指導者の助言に耳を傾けるのであるが、そうして実行して上手くいくと素通りしてしまいがちで、上手くいかないと立ち止まって振り返り分析検討する。「上手くいかない方が成長する」というのもどうやら真理である。「人生は実験の連続である。」と、マハトマ・ガンジーは言っていた。

今の子供たちは過干渉の中で生きている。子供たちが失敗しないように、親も指導者も口を出し手を出す。上手くいかせるために最善最良な物を与えることに非常に一生懸命である。子供が求める以前から与えてしまう。子供が失敗するのを見て自分が嫌な思いをしたくないから、という大人の心理がそこには働いているのだ。しかし、である。救いなのは、いくら最善最良な物を与えたところで、それでも子供は上手くいかないことがある。そこで子供も大人も立ち止まり、振り返ってどうしたらいいか悩む。その所作自体に学びがあるのだ。皮肉なものだ。

何事も、「続ける」ということはたやすいことではないのだろう。上場企業で100年継続している会社は3割、事業を始めて10年継続できているのは1割、と言われる。実際、私が塾を始めた時に半径500m以内に塾は10あった。10年後、そのうち存続していたのは1。その10年間で新たにできた塾が9。その後また10年で新たにできた塾が2。最初から存続している、つまり20年間存続している塾は当塾を含めて2、である。当塾の創立は1995年7月。バブル崩壊・就職氷河期・デフレ・同時多発テロ・民主党政権交代・リーマンショック・東日本大震災・計画停電・原発廃絶運動・アベノミクス…。埼玉県高校入試関係では学区制廃止・絶対評価・業者テスト廃止・公立高校前期後期試験・公立高校入試一本化・学検500点満点…。20年間の中で随分揉まれてきた。

たった20年間でさえも、こうして振り返ってみると目まぐるしかったと思える。社会も取り巻く環境も風景も人も変わった。自分も外見は多少変わったようだ。が、中身は、良し悪しは別にして、変わったり変わってないようであったりと思える。「信じます、君の可能性。伝えます、学ぶ心。」「努力は必ず実る。負けそうになる自分に打ち勝て。」「成績向上と個へのこだわり妥協なし。」この三つのスローガンは当塾の柱であり、原点であり、従って不変である。今まで事あるたびにここに戻り、襟を正して方向性を確かめ、前を向いて進んできた。今後もそれは変わらない。

個人的には当初の価値観に比して多少の変化は認めているところである。「己の立てるところを深く掘れ。そこに必ず泉あらむ」「天にありては星、地にありては花、人にありては愛、これ世に美しきものの最たらずや」との高山樗牛の言葉が身に沁みるようになった。

20年前はかなりの理想主義者だったかな、と。経験値が足りなかっただけかも知れないが、当時に比べると随分足元を見るようになった。そして、社会にお客さんとして違和感を持ってお邪魔していたような感覚から、いつの間にか社会に馴染んでone of themになれた感がある。何とか着地できたような。

月並みな言い方しかできないが、20年間、多くの方々の御理解と御協力に支えられてきたことに心から感謝を申し上げる。今後も皆様の御期待にお応えできるよう、しっかり舵取りをしていく所存である。

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