「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

2015年1月

零(ゼロ)

この冬一番の寒さとなった12月初旬。小雨のぱらつく岩手県大船渡市三陸町の小さな港に一人、私は立った。三陸海岸の典型的なリアス式海岸の入り江からは、目前に太平洋が遥かに広がっている。どの港町も大小の差はあっても、同じような地形であるのが三陸海岸の特徴である。しかし、ここの港には唯一絵になる風景がある。三陸鉄道南リアス線が、一両で、ゆったりゆったり、歩いているのである。

東日本大震災による巨大津波で壊滅的な被害を受けた三鉄は2012年4月1日に一部で運行を再開し、本年4月には北リアス線・南リアス線の全線で運行が再開されたのだ。一両の車両の歩き方が、三陸の復興の現実をいみじくも語ってくれているようであった。

今年3月に訪れた時、無惨に砕かれた防潮堤に立った私は人気(ひとけ)の全くない空漠とした空気に包まれ、無理やりともそれが自然とも言えるのだが、それまで問うたことのないいくつもの問いを自分に強いていた。思索の極みを経験したのである。

今回、その思索の現場となった防潮堤は跡形もなく撤去され、整地されて盛土されていた。正直、自分の居場所を失くされたような気持ちになり寂しさを感じたが、でも瞬間、「これでいいんだ。」と妙に納得できたことには、そこまで利己的でない自分を見出して安堵した。「ここは復興しなければならないのだ」と。
「すみません、ここの工事関係者の方ですか?」
遥か太平洋に目をすぼめて見入っていた無防備な私に、誰かが声をかけてきた。振り向くと、白地に緑の二本ラインの入ったヘルメットを被った三十代くらいの男性だった。
「いいえ。」と観念して答えると、
「ご覧のとおり大きな石がごつごつして危険ですので立ち入りはご遠慮ください。」と注意された。
「わかりました。」
私はそう答えたものの、その場を立ち退くにはまだけじめがついていないと、しばらく太平洋をそのまま眺め続けた。そして思った。
「そうは言われても、ここは自分にとって特別な場所。何人によっても侵害されない自分だけの場所だ。」

人には自分にとって特別な場所がある。そこに行くと原点に返れるような場所。そこに行くと自分を振り返ることができ再出発ができる場所。私にとっては京都の嵐山がそうだ。埼玉からはすぐには行けないのが難と言えば難だが。京都に行くたびに必ず嵐山を訪れる。そして、先回来た時の自分とその時の状況、その時から今日までのことを振り返る。「いろいろあったなあ」と思う。そして「年輪を刻んだなあ」と思うと同時に、軌跡を確かめ、生かされている自分を再確認するのである。

三陸町も特別な場所になった。気仙沼・大川小学校・南三陸町・女川町・石巻・日和山・東松島…、等々も。原点の場所になった。

三陸沿岸の被災地はどういう工事をしたのか、港湾は見事に修復され、宅地は盛土されてショベルカーが唸りをあげ、ダンプカーは泥だらけになって隊列を組んで往来している。復興は進んでいる。が、やっと「ゼロ」になったところと言うべきか。震災によって逆戻りさせられた時間をやっとのことで「ゼロ」にさせられたと言うべきか。石巻の門脇地区では宅地造成計画高さは約1.7m、道路計画高さは約3.4m。津波の高さは約10mである。これでいいのだろうかと、素人の自分は考えてしまう。

12月11日は震災から3年9か月の日。TVでは遺族の様子が映し出されていた。それを観ていた食堂の店主も客たちも、言葉なくため息を漏らした。当事者でない自分の虚しさを感じさせられた瞬間だった。震災遺構の是非が議論されているが、原点に立ち返ることのきっかけになれるのであれば、それはそれで意味のあることだと私は思う。ただ、震災を原点として強いられる方々のことを考えると、人間の計り知れない限界を、改めて認めざるを得ないのである。

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