「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

2014年11月

守破離

関根郁夫埼玉県教育長が県立浦和高校校長時代(2009年〜2013年)に掲げたスローガンとして定着した「守破離」。物事を習得する段階を三つにわけた言葉である。もともとは、江戸時代に川上不白が著した「不白筆記」で、茶道の修行段階の教えとして紹介された。以後、諸武芸の修行段階の説明にも使われているが、県立浦和高校では現在でも学校生活の指針となっている。

「守」とは、師匠の教えを正確かつ忠実に守り、物事の基本の作法・礼法・技法を身につける「学び」の段階。「破」 とは、身につけた技や形をさらに洗練させ、自己の個性を創造する段階。「離」とは、「守破」を前進させ、新しい独自の道を確立させる段階をいう。

先輩(師匠)から第一段階の「守」をいかに身につけるかで、「破離」へと続く、その後の自己成長の土台の大きさが決まっていく。助言を喜んで受け入れていくことで、将来「離」に到達した時、自己をいっそう高めていくことができるのである。

関根元校長は次の様に位置づけている。

『高校三年間を「守破離」で表現すると、一年時は「守」、高校生になる時期である。「授業で勝負」の校風の中で、予習・授業・復習の学習法を体得し、学校生活の過ごし方を学ぶ。部活動と学業の両立に励む。二年時は「破」、挑戦する時期である。高校の型を体得したうえで、さらに自分の可能性を追求する。学習にしっかり取り組み、あるいは中だるみしつつ、部活動や行事、委員会活動など、やりたいことやなすべきことに全力で取り組む。あるいは取り組めずに悩み苦しむ。三年時は「離」、自走する時期である。一人立ちし、将来に向けて自分自身の道を歩み始める。自走してくれと周囲が願い、見守る時期でもある。』

「世界のどこかを支える人間を育てる」ために無理難題を課す浦高。生徒たちは、しかし、その無理難題を仲間たちと一緒に楽しんでいるという。なんとも頼もしい限りである。そして、関根元校長が校長として初めて生徒たちの前に立った2009年の入学式と始業式で話された「少なくとも三兎を追え」。三兎とは勉強、部活動、学校行事の三つである。決して奇をてらったわけではなく、教員たちが当たり前に生徒たちに求め、生徒たちが当たり前に実行してきたことを端的に表現してみただけ、と関根元校長は言うが、もともと皆が当たり前と思っていたことであったので、自然に受け入れられ、いつの間にか校内外に定着したという。

卒業時に実施している生徒向けアンケートの中に「高校生活三年間全体の総合的な満足度」という項目があり「とても満足」「やや満足」「やや不満」「とても不満」の四段階の調査によると、過去三年間の平均では94%の生徒たちが「とても満足」「やや満足」と回答しているというから、脱帽の外ない。

「親がなくても子は育つ」「子は親の背中を見て育つ」と古来、言われている。しかし、人は子供も大人も、ほって置いてしっかり育つことは決してない。植物には剪定が、動物にはしつけが必要なように、人には教育が必要である。欠点ばかりを指摘し直そうとするだけでは子供は委縮してしまう。反対に、良いところをほめて伸ばすと、欠点は目立たなくなる。「可愛くば五つ教えて三つほめ、二つ叱って良き人となせ」とは二宮尊徳翁の言葉である。

人と同様に、どんな組織にもそれまで築かれてきた伝統文化や精神がある。それゆえ、積み上げられてきた有形無形の財産を確認し評価・検証することなく、目先の利益追求に走ったり時流に迎合したり、安易な道を選択したりすることは決してしてはならない。伝統の中に息づく独自の良さを確認しない改革は、それまでの組織文化を壊し、アイデンティティや繋がりをも壊し、伝統そのものを崩壊させてしまいかねない。

「守破離」である。

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