「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

2014年5月

砕心

「みんなそう思ってるんだよ。」

父が間髪入れずに言った。自信と確信に満ちた強い言葉だった。

「自分は一週間くらい皆に見守られて、痛みもなく老衰で逝きたい。」
と言った私の言葉に対しての、畳み掛けるような言葉だった。

義理の母が脳溢血で倒れて二年が経とうとしている。お見舞いに行かないと…、と思っていたが、忙しさにかまけて今になってしまい、事情が許され、やっと行って来れたのだ。

当初は右半身が麻痺してはいるものの、話すことはでき、顔には表情があった。しかし、リハビリの甲斐もなく今は、声は出てもはっきりした言葉にならず、表情もほとんどない状態になってしまった。親戚の毎日の看病には頭が下がる思いである。

ベッドに寝ている母の顔を覗き込んで「お母さん」と声をかけた。瞬間、誰だか判別がつかなかったのだろう。しっかり目を見開いて私を見つめてどのくらい経っただろう。私にはその時間が、ため息を噛み殺すには十分すぎる時間だった。顔色は白く、髪は真っ白。どう見ても私の知っている、あの元気でひょうきんな笑顔の母ではなかった。

私の家に年に一回来ては三か月くらい滞在し、掃除、洗濯、食事の支度、食器洗い、と家事全般をしてくれ、買い物にも行き、毎朝5時には起床し愛犬の散歩までしてくれ、私が夜遅く帰宅しても、待っててくれて夕飯を出してくれ(家内はしっかりお休みになっていらっしゃるのに、だ。)、話の相手にもなってくれたり相手にされたりしながら、あんなに元気にしていた母が、こんなになってしまったのかと、無念さと情けなさが、同時に自分を襲った。やっと、私が誰だか気付いたのだろう。次第次第にこわばった表情が解け始め、いつもの笑みを浮かべ、明るい表情に変わったのだ。

「余程嬉しいのだろうね。こんな笑顔は見たことない。」その場にいた親戚達が驚いていた。

「身体が思うように動かなくて苛立っているようなんだ。いつも厳しい顔をしているのに。」

母は何かを話しているようだったが、言葉なっていなかった。こちらの話は全部理解できており、尋ねればうなずいたり首を振ったりしている。食事は自ら左手でスプーンで一生懸命食べようとしている。上手く食べられないと、苛立ちの表情を見せる。温厚で優しい、あの母では、もはやなかった。

私の母も施設にいる。話はどれだけ理解できているのかわからない。しゃべらない。食事は完全介助。歩けない。顔の表情もない。声掛けに対してうなずいたり首を振ったりは、する。顔をタオルで拭いてあげると、しかめっ面をする。手を握らせると、ほんのわずかな力で反応する。

父親は毎日、昼食の介助に行っている。私も毎日通うことにしている。そして、父親に会うことがある。

「今日はどう?」

「今日はね、このプリンを全部ペロッと食べちゃった。」

「えっ?そんなの食べさせていいの?」

「食べたい物食べさせるのがいい。お母さんは、美味しい物はわかるんだから。」

「何が好きだっけ?」

「マグロの刺身が好きだったなあ。」

「さすがに生ものはダメなんじゃないの?」

「構うもんか。こっそりあげてるんだ。」

「えっ?そうなの…。」

そんなやり取りをしている。

義理の母は、別れに、にっこり満面のいつもの笑顔で、私に左の親指を立て、力強くガッツポーズを見せた。「来てくれてありがとう。」の意味なのだ、と私は解釈した。

「悔いのない生き方とは」を、考えた。

今月のコラムへ戻る バックナンバー一覧へ戻る TOPへ戻る