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今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲
2014年4月
三年が経って…
あの震災から、ちょうど三年が経ちました。震災が皆さんに教えてくれたものは、何だったのでしょうか?皆さんにとっての震災は、何を意味するのでしょうか?
私が初めて被災地を訪れたのは、震災後、間もない四月下旬でした。メディアでは伝えられない惨状は言葉に尽くせるものではなく、息を飲みました。
そこで私が目の当たりにしたのは、「生きる」ということに、精一杯の人たちでした。一瞬にして親・子供・兄弟・家を流され、失い、自分という存在だけしか残らなかった人たちが、身を寄せ合って助け合いながら生きていました。そこには、人の生い立ちも、地位も、財産も、何の意味も価値もありません。強く、優しく、温かく、絆という力によって繋がり合って生きる、その生き様を、目の当りにしたのでした。
それから三年。「復興市場」がそれぞれの地区に立つようになり、その土地の方々が、頑張っている様子にはほっとさせられますが、未だに癒えない悲しみ・絶望・虚無・不安。折れそうになる心を保つのに精一杯、という、追い詰められても何とか踏みとどまっている表情が、切なく感じられてなりません。
訪れる度に考えます。人とは、人生とは、命とは。自然とは、地球とは、宇宙とは。時間とは、運命とは、最も大切なこととは。何故、地震が津波が? そして、自分とは…。止まった時間の中で、無理やり逆戻りさせられた時間の中で、そうしたテーマが次々と私に問いかけてきます。安易に答えを出すべきことではないし、答えは一つではないと思いますし、決してその答えが正しいとも思いません。しかし、とことん考えることにしています。心がけていることは、「短絡的にならない」ということです。そして、人間には答えを知り得ないことが、たくさんあるのだということ。答えを出す必要のないことが、たくさんあるのだということを知るに至って、救われた思いになりました。
そしてまた、自覚できたことがあります。人はそれぞれ、内面世界で、その人なりの「被災」経験を持っているのではないか、ということです。人には、未だに癒されない心の傷があり、何かのきっかけに、今でも疼くことがある。癒されたい。人は皆、そういう何かを持っているのではないか、と思うのです。そう思う時、自ずと人を憐れみ、優しい気持ちになれるのではないか、と思うのです。あの時、多くの人がいたたまれない思いで、何かをしてあげたいと思っていました。思いはあっても自分の微力さに口惜しさを感じました。それは、被災した人たちと自分とを重ね合わせ、そこに相通じる何かがあったからなのではないかとも、思うのです。
将来を運命という名の下に、委ねて無為無策でいるのは怠慢で愚かなことです。そして、過去は修正も消すこともできない。甘受することしかできないのです。辛くても、真っ直ぐに向き合うことを避けていては、前に進めないのです。
皆さんにとって、人生は、まだ始まったばかりです。人生に近道も遠回りもありません。道草をしても、それが幸せを実感できる要素になったりもします。皆さんの歩む人生は、世界でたった一つしかない、偉大で大切な作品です。どんな色で描いても、どんな形に仕上げても、堂々と、誇らしく、唯一無二の、自分という作品を創り上げていってください。そして、折れそうになった時、頑張り過ぎず、いつでも親を頼って、きてください。私たち親は、母なる港として、皆さんが人生という航海から、いつ帰ってきてもいいように、いつでも温かく迎えてあげようと思っています。生きることに疲れたり、何か壁にぶつかった時、一人だけでいつまでも頑張り過ぎないで、いつでも帰ってきて、休んで、いいのです。
進学・進級を迎えた諸君。数年後、今より深く思考を巡らせることができるようになった時、一人、静かな空間の中で、じっくり「考える」ということをして欲しい。君たちは、あまりにも歴史的な事件に遭遇し、あらゆることの「大事」を再考し、自分なりのパラダイムを再構築すべきなのだということを、よくよく、考えて、欲しいのです。