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今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲
2013年10月
核心
2年半が経った。
東松島から釜石。沿岸部を北上した。半年ぶりだった。
被災した家屋や大規模公共施設、車や漁船はほとんど姿を消し、その跡には人の丈ほどの雑草が生い茂り、空漠とした空気が漂っていた。港湾の極一部は修復し始められてはいたものの、ほとんどが手の付けようがない状況に束手無策。「復興」とはお世辞にも言えない現実に苛立ちを禁じ得なかった。この先何年というレベルではない、何十年という気の遠くなる将来に溜息をついた。
「復興市場」がそれぞれの地区に立つようになり、その土地の皆さんがそれなりに頑張っている様子にはほっとさせられたが、でも、それをもって「復興」とは到底言えるものではない。彼らの日常は先の見えない仮設住宅での生活を強いられているのだ。「市場」の店では明るく元気なようであっても、その表情の向こうに暗さを漂わせている。未だに癒えない悲しみ・絶望・虚無・不安。前を向くことだけで精一杯、折れそうになる心を保つのに精一杯という、追い詰められても何とか踏みとどまっている表情が、切なく感じられてならなかった。
訪れるたびに考える。人、人生、命、自然、地球、宇宙、時間、運命、そして、自分…。止まった時間の中で、無理やり逆戻りさせられた時間の中で、そうしたテーマが次々と私に問いかけてくる。答えが出せても出せなくても、それは問題ではない。思索すること、それ自体に自分にとって意味があるのだ。
重く、苦しい時間ではある。しかし、とことん考えることにしている。「意味」を考えることにしている。安易に答えを出すべきことではないし、答えは一つではないと思うし、決してその答えが正しいとも思わない。心がけていることは、「短絡的にならないこと」である。
今回、自覚できたことがある。それは、自分は自分と被災地とを重ね合わせているのだ、ということ。自分も内面世界で「被災」した経験があるのではないか、ということ。そして、人はそれぞれ、その人なりの「被災」経験を持っているのではないか、ということである。
もちろん、程度の差はある。でも、未だに癒されない心の傷があり、何かのきっかけに今でも疼くことがある。癒されたい。人は皆、そういう何かを持っているのではないかと思うのだ。そう思う時、自ずと人を憐れみ、優しい気持ちになれたりするのではないかと思うのだ。
あの時、多くの人がボランティアとして被災地に赴き、救援物資を送った。皆がいたたまれない思いで、何かをしたい、してあげたいと思った。思いはあっても自分の微力さに口惜しさを感じた。それは、被災した人たちと自分とを重ね合わせ、そこに相通じる何かがあって、何かを感じたからなのだ、と思うのだ。
津波で滅茶苦茶に倒壊した防潮堤の上で、膝を抱えて座りながら穏やかな美しい三陸町の海を眺めた。地震も津波も人間の力では抑えることも止めることもできない。自然の猛威の前に、人間の力はあまりにも無力だ。「天を恨まず、運命に耐え、助け合っていくことがこれからの私たちの使命です。」との梶原裕太君の言葉が再び蘇った。
人は皆、運命に翻弄されているという見方もある。将来を「運命」に委ねて無為無策でいるのは怠慢で愚かなことだ。が、一方、過去は修正することもできなければ消すこともできない。受容し甘受することしかできないのだ。古傷が疼くなら、癒すことはしてもいいだろう。被災地の人達のこれからの生き方は、私自身のこれからの生き方と、重なり合うように思えてならない。
自分自身に対する問いかけが、次第に避けられない核心に迫って来つつあることを自覚できたことも、今回の収穫だった。