「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

2013年3月

詰問

夕餉を囲んでいる時、高校2年の次女がこんなことを尋ねてきました。

「愛着と執着とこだわりの強さの順序は?」

瞬間、「面白い質問だな。でも、何でこんなことを聞くんだろう。 この子もいつの間にか成長したな。」と、いくつもの思いが頭をよぎりましたが、 次の瞬間、語り始めていました。「愛着というのは愛情を持って執着することでしょう。 ニュアンスとしては情的な温かみのある言葉かな。 執着というのは、例えばお金に執着するとか、出世に執着するとか、 エゴイスティックなニュアンスがあるかな。でも、受験であれば第一志望校合格に執着するとか、 何か強い情念みたいなものを感じる。こだわりというのは、 例えば陶芸家や画家が形や色遣いにこだわるというように妥協しない強さみたいなものを感じるよね。」

「じゃあ、被災地の人たちが津波の被害に遭っても、なおそこに住み続けたいと思うのは愛着?」

「一概には言えないと思うけど、やはりその土地に対する思い入れもあるだろうし、先祖代々受け継がれた 財産だってあるだろうし、人間関係もあるだろうし、簡単には表現できないんじゃないかな。」

「でも、また津波が襲ってくる危険性があるのに何故またそこに住もうと思うんだろう?」

「当事者でないとわからない世界だけど、そこを離れられない情的な、 現実的な理由があるんだろうね。」

「パパだったらどうする?」

「おっ、きた。」と、一瞬、身構えてしまいました。でも、そんな態度はおくびにも出さず、 反射的に間髪入れずに語っていました。

「パパだったら迷わず移転するな。」

「へぇー、何で?」

「パパはこの世の世俗的な価値観はそもそも虚しいものだと思っているから。 形あるものは崩れる。目に見えるものはいずれなくなる。 人間の一生もなくなる。あるのは来世の永遠の命だけだと思っているから、 この世的なものに対する執着はないんだ。だからと言って現実を軽視はもちろんして いないし、むしろ一生懸命生きてるつもりだけど、それは自分の命の自然の発露であって、 無理やり自分をそう仕向けているわけじゃない。 だから、津波の危険があるのを重々承知でいながら、そこに執着して住むということはしない。 でもね、当事者になってみないとわからないね。人間は、理屈じゃあ動かないもんだからねえ。」

「じゃあ、自分の永遠の命に執着しているんだ。」

「執着というよりも尊んでいる、というのかな。畏敬の念を持ってる。」

「ふーん…。ということは、愛着と執着とこだわりは強さの程度というよりも、 もともと性質が違うってことか。うんうん。」と言いながら、 何かわかったかのような顔をして自分の部屋に入っていきました。 私の話したことをどれだけわかったのか私にはわかる術もありませんでしたが、 何かを自分なりに納得できたようなすっきりした表情を浮かべていました。

この世の「無常」に直面し、自分の「生き方」を見直し、 「人生観や価値観」が変わったという人たちは、今はどうしているのでしょう。

あれから2年が経過しようとしています。今を生きることで精一杯な私達ではありますが、 節目を迎えながらもう一度、あの時の原点を振り返る契機となりました。

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