「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

2013年2月

遺産

「ハングリーであれ、愚か者であれ。」

「死は、生命の最高の発明だ。」

「内なる声を聴け。」

2011年10月5日、56歳の若さでこの世を去ったアップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏の生き方は、禅道そのものだった。2005年に米スタンフォード大学での講演で残した言葉には、仏教の教えが色濃く漂う。

「『ハングリーであれ、愚か者であれ』は、曹洞宗の祖、洞山良介禅師が説いた『愚の如く、魯の如く、よく相続するを主中の主と名づく』を訳したものだろう。『よく相続するを主中の主と名づく』は、コツコツと一つのことを続ける人が最も強い、という意味である。形あるものは必ず滅びる。だからこそ、命ある間にたゆまず精進し、一瞬一瞬の生を最大限に発揮せよ、という教えだ。」カリフォルニア州オークランドに住む曹洞宗の北米国際布教総老師、秋葉玄吾氏はそう話す。秋葉老師はジョブズ氏と個人的な付き合いはなかったが、師匠筋の禅僧、知野弘文老師を通し、彼が禅に並々ならぬ関心を持っていることを知っていた。

ジョブズ氏と禅との出会いは1970年代にさかのぼる。彼は生後すぐに養子に出されたが、養親が裕福でなかったために大学を中退。73年に友人とインドを旅し、聖者と呼ばれたニーム・カロリ・ババに出会ったことで人生観が一変する。

カリフォルニアに戻った彼は頭を丸め、インドの伝統装束に身を包み、「仏教徒」に変身していた。彼が知野老師と出会ったのはこの頃だ。仏教心に目覚めた彼は禅センターにいた知野老師の下に足しげく通うようになる。秋葉老師は「寡黙だが人を包み込むようなフワッとしたところのあった知野さんと、直線的な性格のジョブズ氏は、きっと馬が合ったのだろう」と振り返る。二人は師と信者でありながら、友人同士でもあったのだ。

85年、彼は共同設立したアップルを追われて失意のどん底に陥るが、その時、精神的支えとなったのが知野老師だった。「彼は将来、大きな仕事をするかもしれない」と知野老師は語ったことがあるという。

コロンビア大学のロバート・サーマン仏教学教授は言う。「ジョブズ氏が生み出した製品には、仏教の精神が漂っている。その天才的な能力のおかげで、世界中にコンピュータが普及し、何十億という人々の頭脳が、ニューロン単位でつながった。“宝石をちりばめたインドラ網”の創造と言える。」インドラは、インド最古の聖典『ベーダ』の主神であり、“宝石をちりばめたインドラ網”とは、一つ一つの宝石の輝きは他の宝石に映し出され、また全体の輝きは各宝石に反映される、という意味だ。つまり、人間も含め形あるものは、すべて他とのつながりで成り立っており、人という存在も、空気や大地など、自分を取り巻くものによって成り立っているという、仏教の根幹を成す概念である。ジョブズ氏はアップルの基本理念を「フォーカスとシンプルさ」と定義し、「シンプルであることは複雑であることより難しい」と語っていたが、これも禅の教えそのものだ。彼の徹底したミニマリスト志向も、世界を変えた「iPhone」や「iPad」などの機能やデザインも、禅の理念を彷彿とさせる。ジョブズ氏が癌を宣告されてから数々のヒット作を飛ばした理由を秋葉老師は次のように語る。「仏教では死を背負って生きていくことが最強とされる。短い人生、生あるうちに精進し、人の利益になるように働けば、それが自分にも返ってくる。知野老師は『禅の修行の目的は自分の中にある知恵を見出すこと』と説いた。」

死と直面したことでジョブズ氏も自らの内なる声を聴いたに違いない。そして、次々と遺産を生み出し、後世に遺して、逝ったのである。

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