「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

2012年11月

修身

会津藩校日新館は、五代藩主松平容頌(かたのぶ)の時代に、家老田中玄宰(はるなか)の「教育は 百年の計にして会津藩の興隆は人材の養成にあり」との建議によって企画され、5年の歳月をかけ、鶴 ヶ城の西側に一大学問の殿堂として1803年に完成しました。

「日新」の名は、大学の「苟(まこと)に日も新たならば日に日に新たに又日に新たにせん」の文に由来し、その教育は藩祖の遺訓を旨とし、文武両道にわたる幅広い内容でした。文は漢学を主とし、天文学、蘭学、化学等にわたる多数教科制で、今日の小学校から大学まであり、武は兵学をはじめ、弓術、刀術等武芸全体に及び、学力の水準は群を抜いていました。司馬遼太郎さんも佐賀の鍋島藩の藩校弘道館と1・2位を争う水準であったと述べています。幕末に飯盛山で自刃した白虎隊の少年たちも、勉学はもちろんのこと「ならぬことはならぬ」の精神を学び、未来に夢を馳せていました。来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公新島八重の兄、山本覚馬は9歳で日新館に入学、鳥羽・伏見の戦いで薩長連合軍に捕えられ、後に京都府顧問、新島襄の同志社設立に助力、日新館の蘭学科教授となりました。

日新館入学前の6歳〜9歳の子供たちに徹底的に教え込まれたのが什の掟(じゅうのおきて)です。

一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ。
二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
三、虚言(うそ)を言うことはなりませぬ。
四、卑怯な振舞いをしてはなりませぬ。
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ。
六、戸外で物を食べてはなりませぬ。
七、戸外で婦人(おんな)と言葉を交えてはなりませぬ。

ならぬことはならぬものです。

10歳になると会津藩士の子弟は日新館に入学します。生徒数は1000〜1300人ほど。授業は朝8時から始まりました。素読の教科書は論語・大学などの四書五経に孝経・小学を加えた計11冊の中国の古典です。低学年の時は、日新館心得の勉強があり、具体的に細かく心得を指示していました。

一、毎朝、早く起きて顔や手を洗い、歯を磨き、髪の毛を整え、衣服を正しく来て、父母に朝のご挨拶をしなさい。そして、年齢に応じて部屋の掃除をし、いつお客様がお出になってもよいようにしなさい。
二、父母や目上の方へ食事の世話、それからお茶や煙草の準備をしてあげなさい。父母が揃って食事をする時は、両親が箸を取らないうちは子供が先に食事をしてはいけません。理由があってどうしても早く食べなければならない時は、その理由を言って許しを得てから食事をしなさい。
三、父母が家の玄関を出入りなさったり、あるいは目上の方がお客様として玄関にみえられた時、お帰りになる時は送り迎えをしなければなりません。
四、外出するときは父母に行先を告げ、家に帰ったならば只今戻りましたと、挨拶をしなさい。すべて何事もまず父母にお伺いをし、自分勝手なことをすることは許されません。
五、父母、目上の方と話をする場合は、立ちながらものを言ったり聞いたりしてはなりません。また、寒いからといって自分のふところの中に手を入れたり、暑いからと言って大義を扇を使ったり、衣服を脱いだり、衣服の裾をたぐり上げたり、そのほか汚れたものを父母の目につく所に置くようなことをしてはいけません。

…来月に続く。

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