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今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲
2012年10月
一事
司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」に登場する主人公の一人、秋山好古(あきやまよしふる)は、「単純明快に生きよ」「人間生涯で一事を成せばよい」を口癖にしていました。後に日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破する連合艦隊参謀であった弟の秋山真之(あきやままさゆき)に対しても好古はそう言って、厳しく指導したといいます。
好古は、幕末に貧乏な下級武士の家庭に生まれ、苦労して陸軍に入ります。その後フランスで同国の騎兵隊を学んで日本陸軍の騎兵隊を確立し、日露戦争においてロシアのコサック騎兵隊と堂々と渡り合って日本軍を勝利に導きました。
好古は弟真之の将来を考え、「田舎に置いていたのでは立派な男にならない。やはり東京に呼んで自分が監督し、みっちりと勉強させねばならない」と言って、自分の許に呼び寄せます。好古は真之の面倒を見はしましたが、飴をしゃぶらせるような可愛がりかたは一切せず、とても厳しく躾けます。例えば、松山の母が真之に東京は寒いだろうと思って綿の入った足袋を送ってくれても、
好古は「贅沢だ」といって脱がせたり、またある雪の日、真之が玄関でグズグズしていると、好古
が出てきて、
「何をしとるんぞ」
「下駄の鼻緒が切れているから直しているんです」
「裸足で行け」
と怒鳴ります。
晩年秋山真之は、自分の家に訪ねて来るよう人々には、親戚の誰人であり年長者であろうと、自分が床の間を背にして坐り、決してその座を与えませんでしたが、ただ兄好古が訪ねて来る時だけは、自ら立って座布団を裏返し、好古を床の間の方に坐らせ礼儀を正したといいます。 とても怖い兄だったようですが、それでも真之は、「自分がこれまでになったのも、陸軍の兄のおかげである」との言葉を残しています。
「如何にすれば勝つかということを考えていく。その一点だけを考えるのが俺の人生だ。それ以外のことは余事であり、余事というものを考えたりやったりすれば、思慮がその分だけ曇り、乱れる。」
「偉くなろうと思えば邪念を去れ、邪念があれば邪慾が出る。邪慾があっては大局が見えない。邪念を去るということは、偉くなる要訣だ」
「何でも良いから働け。仕事は見つけさえすれば何でもある。」
「人生は一生働くものだ。死ぬまで働け。」
好古が残した言葉には、堅固、一徹、を感じさせられます。「一事を成す人は…」と片づけるのではなく、私たちも私たちの「一生」という一事を成すにあたって、好古の残してくれた言葉を噛み締め、とかく怯みそうになる自分を叱咤し、鼓舞し、力にできることがありがたいと思います。
古人の言葉、それは珠玉の言葉です。