「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

2012年9月

英断

8月お盆前の南三陸町。震災から1年半が経とうとしているこじんまりとしたその町は、瓦礫は粉砕されて整然と積み重ねられ、被災した無惨な建物はそのほとんどが取り壊されて更地となり、震災の記憶こそ、その土地の人たちの中には消えずに息づいていることはあっても、震災前の往時を偲ばせる風景は、どこを見渡しても見つけることはできないくらいに変貌していました。美しい海水浴場にも人は 一人もいませんでした。

道路は舗装もされ、信号機も機能し、電柱も立ち始め、商店も数軒建ち、少しずつではあっても息を吹き返し始めている様子は伺えるものの、「復興への道のり尚遠き」感は否めない状況でした。被災地域の公園緑地化、住宅地の高台移転など、大まかな復興基本計画は定まってはいても、実際に動き出す時期は明確には定まっていないようです。

経済一流(最近では二流とも言われていますが)、政治三流と言われる日本。会議好きな日本。何度も話し合いの場を持っても、長々と話し合っても、有効な結論を出せないで問題を先送りにしてきた日本の政治への批判が、今になって改めてクローズアップされてきたように思えます。

昨日(8月15日)の「NHKスペシャル 終戦〜なぜ早く決められなかったのか」によると、敗戦から67年を迎える太平洋戦争。その犠牲者が急激に増加したのは、戦争末期だった。勝敗はとっくに決していたにもかかわらず、なぜもっと早く戦争を終えることができなかったのか。当時の日本の国家指導者の行動や判断には、多くの謎や不可解な点が残されている。今回NHKは研究者との共同調査で、戦争末期の日本の終戦工作を伝える大量の未公開資料を、英国の公文書館などから発見した。それらによると、日本はソ連の対日参戦を早い時期から察知しながらソ連に接近していたこと。また、強硬に戦争継続を訴えていた軍が、内心では米軍との本土決戦能力を不十分と認識し、戦争の早期終結の道を探ろうとしていたことがわかってきた。1日でも早く戦いを終える素地は充分に出そろっていながら、そのチャンスは活かされていなかったのである。番組では、戦後に収録されながら内容が公開されてこなかった当事者らの肉声証言なども検証し、重要な情報が誰から誰に伝えられ、誰には伝えられなかったのかを徹底分析。国家存亡の危機を前にしながらも、自己の権限の中に逃避し、決定責任を回避し合っていた指導者の実態を浮かび上がらせたのです。

これは戦争の終結という歴史的国家的岐路における、あまりにも重要な決定をめぐる局面においてさえも、自己の責任回避と問題の先送りという官僚主義的な体質が如実に現れた典型例だと思います。多事争論、大いに結構です。が、最終的には体を張って、野田首相は「命がけで」と表現していましたが、大英断を下すことが求められているのが首脳です。今回の原発事故に関しても、人災であることを率直に認め、責任の所在をはっきりさせて、賠償に堂々と応じていく潔さがなければならないと思うのです。現実を直視すること。情報を収集して分析すること。最善の方策を見出すこと。そして決断すること。組織だけでなく私達個人にも求められる局面が人生の中では訪れます。遅きに失することのなきよう、歴史に学び、教訓としなければなりません。「降伏」ではなく「終戦」の日に、我が身を歴史に照らして考えさせられました。

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