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今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲
2012年7月
ど真剣
勉強にしても仕事にしても、「やり甲斐」とか「意義」「楽しさ」というものは、自分自身で見出すもので、第三者に言われたり教わったりするものではないと思います。同じことをしながらも、そこに「価値」を見出せるか否かは、「やり甲斐」につながる大事な要素だと思います
先日、某中学校の体育祭に行って来ました。同じ体育祭実行委員の生徒でも、生き生きと機敏に行動している生徒もいれば、面倒くさそうにしている生徒もいました。実行委員を選出する際に、立候補した生徒もいれば、やりたくないのに人数合わせで仕方なくやらされたという生徒もいたかも知れません。しかし、一旦、役を受けた以上は、その役目や責任があるわけで、その仕事に対して自分なりの意義を見出している生徒と、そうでない生徒とでは、行動に大きな違いが生まれてくるのは必定です。彼らの行動が彼ら自身の心の内を物語っているかのようでした。何事にも一生懸命になれる性格の生徒もいるでしょうし、なんとなく過ごしてしまっている性格の生徒もいると思いますが、「性格」の問題だとして片付けてしまうのは如何なものでしょう。
勉強も然り。「何でこんなことやらなきゃならないんだ」と思うことは誰にでもある事でしょうが、そこに自分なりの意味や目的を見出して前向きになれる生徒と、見出せずに放棄してしまう生徒とでは、その後の進路に決定的な差異が生じてくることは自明のことです。もっとも勉強に関して言えば、スポーツ・芸術方面に進む生徒や、受験に向けて文系・理系などの要不要があるので、十把一絡げに言えることではありませんが、取捨選択が要求される際には、納得のいく整理の仕方が大切だと思うのです。
仕事も然り。仕事に対する自分なりの意義を明確に持っている人とそうでない人とでは、行動や結果に大きな差が生まれてくることは言うまでもありません。
京セラ創業者の稲森和夫さんは著書『ど真剣に生きる』(NHK出版)の中で次のようにおっしゃっています。
入試に失敗し肺浸潤を患い、死と向き合った時、私は宗教書を通して「心に思わないことは自分の人生には起こらない。自分の心に思い描いたものが、すべての幸福、また不幸を招く」のだと知り、それを脳裏に刻みつけました。以来、心に思うことが人生を良い方向にも悪い方向にも導くと信じ、善き人生を歩むための心のありようを考え続けてきました。
社会人になって最初に就いた職場では、置かれた環境がどれほど劣悪であろうとも、絶望的な境遇に追いやられようとも、不平不満を並べ、逃げ場を求めてさまよっているうちは、人生は決して好転しないことを思い知らされました。同時に、自分の仕事を心から好きになり、寝食を忘れるほどの情熱を燃やして一心不乱に取り組めば、仕事がどんどん面白くなり、素晴らしい成果が上がり、人生が明るく好転することを学びました。
桜の花は冬の寒さが厳しければ厳しいほど、開花への準備が進むそうです。寒さという逆境が、桜が開花するためには必要だということです。人も同じでしょう。逆境に追い込まれたら、それを神様の贈り物と喜び、この苦境を克服すれば、すばらしい未来が必ず開けると固く信じることが大切です。そして、明るくグチをこぼさずに、将来に向けて、誰にも負けない努力を重ねていけば、その先には素晴らしい人生が開ける、私はそう信じています。
好きな仕事を探しても、そんなのはあるわけがありません。自分がたまたま遭遇したその仕事を好きになる努力をする、ということが私は正解だと思います。
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「ど」がつくほど真剣に人生を生きてきた稲森さんに倣い、仕事に対する心の持ちようを見直すきっかけになりました。感謝。