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今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲
2012年6月
再起
「世界がもし100人の村だったら」からは、私たちが今こうして生きていられるということが、いかに恵まれていることなのかということを教えられます。
「20人は栄養が十分でなく1人は死にそうなほどです。でも15人は太り過ぎです。」
「75人は食べ物の蓄えがあり、雨露をしのぐところがあります。でも、後の25人はそうではありません。17人は、きれいで安全な水を飲めません。」
「1人が大学の教育を受け、2人がコンピューターを持っています。けれど、14人は文字が読めません。」
「もしもあなたが、いやがらせや逮捕や拷問や死を恐れずに信仰や信条、良心に従って何かをし、ものが言えるなら、そうではない48人より恵まれています。」
「もしもあなたが空爆や襲撃や地雷による殺戮や拉致におびえていなければ、そうでない20人より恵まれています。」
半年ぶりに東北を訪れました。昨年11月に南三陸町で出会ったラーメン店のマスターが、12月15日にお店を再開させることになったと話していたので、開店予定のその日、電話をかけたところ呼び出しはするものの通話ができず、翌日も同様だったので気になっていたのでした。冬の東北は雪も深く「春になったら」と思いながら、やっと訪れることになったのです。
気仙沼から車で南下すること1時間。半年前に比べて瓦礫が整理されて更地の広がる風景の南三陸町に到着しました。プレハブの「復興商店街」では鮮魚店やカフェも営業していて、人の息吹を感じてホッとはしたのですが、目当てのお店が見当たらないのです。「志津川高校の麓で始める」とのことだったので、すぐわかるだろうと思っていたのですが、見当たらないのです。コインランドリーに来ていた老夫婦に尋ねたら「再開の噂は聞いていたけど私たちは町から出てしまったからわからない。マスターに聞いてやるよ」と、カフェのマスターに聞いてくれたのです。マスターは「この山の裏に回ると中腹にあるよ。のぼりが立ってるからわかる」と、行き方を指さしながら教えてくれました。
その通りに行ってみると、見えたのです。「あった!でも、こんなところじゃ気が付かないよなぁ。」舗装はされてはいたものの、車がやっと一台通れるほどの細い、大小の石が転がったままの山道をスルスルと登って行きました。お店の駐車スペースに車を停めて玄関に向かうと「準備中」の札が出ていたのです。せっかくここまで来て顔も見ずには帰れないと、店の周りをウロウロしていたら、サッシ窓から中の蛍光灯の明かりが見えたので、「ごめんください!」と声を上げて玄関ドアを開けて中に入りました。中では3人の初老の男性が 酒を酌み交わして歓談していました。さいたまから来た旨を伝えると、1人がおもむろに立ち上がって奥からマスターを呼んできてくれたのです。「いやぁ、よく来てくれたなぁ」と、お店のテーブルに促され、サイダーを振る舞ってくれました。
お世辞にも綺麗とも素敵とも言えない佇まいでしたが、でも、頑張ってる、生きるために頑張ってる、なりふり構ってなんかいられない、そんな空気を感じました。開店は予定より遅れて年末26日だったこと、電話は不通のままだとのことでした。
「まだまだ頑張る。頑張れる。」と、マスターは噛み締めるように語っていました。「この人は、くじけてないなぁ。」そう、思いました。
被災地を訪れるたびに、逆に励まされてしまいます。当たり前の生活が、実は、とても恵まれているのだ、ということ。体を張って生きることに頑張っている人たちがいることを思うと、今の自分も、あれこれ御託を並べてる場合じゃないと、身を正されます。
目の前のことに一生懸命。「頑張ろう。」と、思いました。