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今月のコラム バックナンバー 文⁄塾長 大山重憲
2012年3月
王道
「素直な心」について松下幸之助さんは次のように述べています。
素直な心といいますと、一般の通念としまして、単におとなしく、従順であり、何でも人の言うことをよく聞き、よかれあしかれ、言われる通りに動くことが素直である、というように考えられております。しかし、一面では確かにそのとおりでありますが、本当の意味の素直さというものは、もっと力強いものであり、積極的な内容を持っているものであります。
すなわち、物事の真実を受け入れようとする力の湧いてくる心であります。事の善悪を問わず何事に対しても従順であるというのではなくて、間違っていることであるならばこれを排し、その物事の真実なることを見極めて、それに従う態度であると思うのであります。
素直な心を身に付けてその心が高まってきますと、あらゆる時に臨み、折に応じて、物事の道理がはっきりとわかってくるのであります。すなわち、ある事柄が正しいことであるか、正しくないか、あるいはまた、これはこうした方がよいとか、今こういうことをすると不利だとか、また、少しの間見合わせた方が良いとかいうように、一つ一つ正しい判断がはっきりと下せるのであります。言い換えますと、他人の言葉の聞くべきを聞き、排すべきを排し、私心にとらわれず、自我に固執し感情に走ることなく、本当の是非を判断する働きが自然に生じてきて、物事の実相が、あるがままにその人の心に映じ、浄玻璃の鏡(地獄の閻魔王庁で亡者の生前における善悪の所業を映し出すという鏡)の如く正邪善悪を映し出し、その映じたままを見て取って、それに対処すべき態度も明らかとなり、間違いなく正しい道を歩むことができると思うのであります。
この素直な心がますます高まってまいりますと、ものの道理が明らかになるばかりでなく、その行うところ、考えるところが融通無碍(一定の考え方にとらわれることなく、どんな事態にも滞りなく対処できること)となり、いかなる障害にも行き詰まることなく、ついには円満なる人格を大成し、悟りの境地にも達すると思うのであります。(『松下幸之助の哲学』PHP文庫より)
「学問に王道なし」とは言いますが、人として生きる道には王道があるのではないでしょうか。森羅万象の中で唯一、不完全なのが人間です。肉体は完成しても、心の完成は、その定義さえ曖昧です。しかし私達人間は、その見えない完成を目指して、過ちを繰り返しつつ軌道修正しながら、時に落ち込みながらも前進しているように見えます。なんて健気(けなげ)なんでしょう。
修行の場、とも言われる人生を、王道から外れないよう、我が身を振り返る作業は怠ってはならないと、改めて自分自身に言い聞かせているところです。
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受験生諸君、入試までわずかです。画龍点睛(がりょうてんせい)、最後の最後まで油断なく走り続けてください。健闘を祈ります。