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今月のコラム バックナンバー 文⁄塾長 大山重憲
2012年2月
立命
年頭に当たり、過ぎし一年を顧みながら、人としてこの地球上に命を授かり、いかんともしがたい力によって翻弄される人の運命とも言うべき摂理を思い、松下幸之助さんの言葉に耳を傾けてみました。『思うまま』(PHP研究所)からの抜粋です。
私はいわゆる運命論者ではないが、学問もなく、人よりも身体が弱かった自分のこれまでの歩みを振り返って見ると、やはりそこに自分の意志や力を越えた、運命とでも呼ぶしかない何か大きな力の働きを感ぜずにはいられない。そして、自分はその運命とも言うべきものに、素直に従ってきただけではなったかというような気がする。
ただ、そういうものは、過ぎ去ってみて初めてわかるのであって、前もって予知することはできない。そこにまた人生の妙味というものもある。だから、我々は今日一日の仕事に精励を尽くしてゆくより仕方がないと思う。そうすることによって、そこに運命があるならば、それが開けてゆくというものなのではないだろうか。そんなことを自分の体験からつくづくと感じるのである。
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何か大事を行おうとする時には、人は誰でも真剣になる。そして、神仏などに祈りを捧げて事を行うというような、いわば敬虔な気持ちに自ずとなるようだ。これは一つには、大事を前にして神仏の力をも借りたいという心が働くのであろう。しかしまた、そういう敬虔な態度をとることにより、自ずと素直な心が生まれ、自らの実力を十二分に発揮し、高い成果を収めることにもなるのだと思う。 何事によらず神仏に祈るほどの真剣な気持ちになるならば、事も成就しやすいのではなかろうか。
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お互い日本人に生まれたということは、これは自分の意志ではない。いわば運命とも言うべきものであろう。 そのことは、我々の仕事についてもある程度言えるのではないだろうか。ある会社に入る、何らかの職業を選ぶという場合、確かに自分で決めるには違いないが、同時に自分の意志を越えた大きな力の導きがあったと考えられないこともない。そう考えて、そこに、ある種の悟りを持つというか度胸を据えることも一つの行き方だと思う。そして、素直に与えられた環境に没入し、精進努力してゆく。そういうところに大きな安心感も湧き、より力強い働きも生まれてくると思う。
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若い人々は今後の人生においていろいろの困難に出会うであろうが、大事なことは、それらをすべて善意に解釈するというか、自分にとってよき修行のいい過程を与えられたのだと考えることではないかと思う。そのように考えて、どのような困難にもいたずらにおびえることなく努力を続けるならば、そこから次第に道が開けてくるであろうし、その困難自体が自分を育てる一つの糧ともなってくると思うのである。