「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム バックナンバー 文⁄塾長 大山重憲

2011年12月

勇気

2万人以上の死者・行方不明者を出した東日本大震災。しかし岩手県釜石市立の14の小・中学校全校では、学校管理下になかった5人を除く児童・生徒約3千人が全員無事だった。「釜石の奇跡」である。

釜石市内の小中学校での防災教育で、 特に重きを置いたのが“自然に向かい合う姿勢”を子供たちに与えるということ。そして彼らに伝えたのが、次に挙げる「避難三原則」だった。以下は群馬大学大学院片田敏孝教授の言葉です。

●一つ目は「想定にとらわれるな」。
端的に言えば、ハザードマップ(災害予測図)を 信じるなということである。最初に取り組みを始めた鵜住居(うのすまい)小学校は、マップ上では浸水想定区域外にあったため、 子供たちは「自分の家は安全だ」「この学校も大丈夫だ」と安堵していた。 しかし、災害時に非常に多いのは、マップの想定に基づいた行動を取って人が亡くなるケースである。 そこで私は子供たちに、 「ハザードマップはあくまで想定にしかすぎない。相手は自然なのだから、どんな想定外のことも起こり得る。 先生が大丈夫と言ったから安全だ、といった受け身の姿勢でいては絶対にダメだ」と伝えた。

●二つ目は「その状況下において最善を尽くせ」。
ここでは、今回の地震発生時、 釜石東中学校の子供たちが取った行動を紹介したい。三月十一日午後二時四十六分、 約五分間にわたる激しい揺れが続いた。 教頭先生が校内放送で避難を呼び掛けようとしたが、停電によって音が流れない。しかし、部活動をしていた中学生は、すでに揺れている最中から自らの意思で校庭を駆け出し、 隣の鵜住居小学校に向かって「津波だ。逃げるぞ!」と大声で叫んでいた。 児童たちは当初小学校の三階に避難していたが、日頃から中学生と一緒に避難する訓練を重ねていたので、その声を聞いて一斉に校舎を飛び出し、中学生と合流して避難を始めたのである。 そして彼らは予め指定してあった避難所に辿り着いた。 しかし避難所の脇にある崖は崩れかけており、 海へ目をやると津波が防波堤に当たって 激しい水飛沫(みずしぶき)を上げている。 この様子を見たある男子生徒が 「先生、ここじゃダメだ」と言って、さらにその先にある施設へと移ることを提案。無事全員が移動し終えたわずか三十秒後、 最初にいた避難所は津波にさらわれることとなった。 当初、学校は津波に浸からないものとされていたが、校舎の三階に車が突き刺さっているほどだから、屋上まで冠水したことは疑いがない。 もし想定にとらわれて、学校や最初の避難所にとどまっていたとしたら、命を守ることはできなかっただろう。

●三原則の最後は「率先避難者たれ」。
もし“その時”がきたら、他人を救うよりも、まず自分の命を守り抜くことに専心せよ、という意味である。 今回の津波でも、大声を出しながら全力で駆け出した中学生たちが児童を巻き込み、大挙避難する彼らの姿を見て、 住民の多くも避難を始めた。 子供たちは文字どおり率先避難者となり、 周りの大人たちの命をも救ったのである。

「君が率先避難者になれ。 その状況を打ち砕くのは君なんだ」すると生徒の表情が少し変わる。 「でも想像してみてほしい。 非常ベルが鳴った時、最初に部屋を飛び出していくには 非常に勇気がいる。 何だか弱虫でおっちょこちょいのようだし、大抵は誤報で、皆から囃し立てられながら 再びここへ戻ってこなくてはならない。けれども、実際に災害が起こると、そういう状況の中で大勢の人が亡くなっていく。君自身が逃げるという決断をすることで皆を救うことができるんだ」そして、逃げるという行為がいかに知的で、自分を律した行動であるかを言って聞かせるのである。このように、彼らには地震や津波の“知識”を与えたわけではなく、防災へ向かい合う“姿勢”を与える教育を行ってきた。この先どんな事態が襲ってきたとしても、自分の最善を尽くし、生き延びる姿勢を持った子であってほしい。

そして今回、釜石市内にある十四の学校の子供たちがそれを見事に実行してくれたおかげで、約三千人の命が守られることになったのである。

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