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今月のコラム バックナンバー 文⁄塾長 大山重憲
2011年11月
潔
気仙沼市立階上中学校の卒業生代表梶原裕太君の答辞です。
「階上中学校といえば、防災教育といわれ、内外から高く評価され十分な訓練もしてきた私達でした。しかし、自然の猛威の前には人間の力は、あまりに無力で、私達から大切なものを容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むご過ぎるものでした。辛くて、悔しくて、たまりません。しかし、苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きて行くことが、これからの私たちの使命です。」
何度も繰り返し読みました。読むたびに熱いものが込み上げてきました。やるせない気持ちになっても、被災地の皆さんが天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていることを思い描くと、メソメソしていてはいけないと、前を向かなければいけないと、励まされるのです。
女川町の魚屋さんが被災して、やっと今月初めに食堂として再出発し、ランチ寿司がその名も「復興価格」1000円。女川町で被災後最初のお店で、昼時にはお客さんでいっぱいでした。不慣れな青年の店員は都内から故郷に戻り、お店を一緒に商うことになったそうです。
それぞれの人たちの人生を変えてしまった震災。避難所がすべて閉鎖されて仮設住宅に移り住むようになりましたが、「生きる」ことに直面している人たちは文字通り必死に生きています。
7月に訪れた石巻の中学校では、校庭から瓦礫がきれいに撤去され、自衛隊の設営した立派な露天風呂も撤去され、目の前に広がる湾に流されて浮かんでいた建物も撤去され、携帯電話の臨時通信塔も撤去され、一見何事もなかったかのように見受けられる風景であっても、駐車場には市役所の仮設支所が設営され、体育館の出入り口にはブルーシートが貼られ、校庭の隅には牡蠣の養殖浮や流された家具や船が積み重ねられていました。
一変してしまった状況の中でも一生懸命に生きることをしている人たち。生きる道を模索している人たち。私は、恥ずかしながら自分の今の生きる姿勢を見つめることを強いられています。自分は彼らと同じように一生懸命だろうか?くじけてないだろうか?諦めてないだろうか?…
『天網恢恢疎にして漏らさず』天の目はごまかせません。恐るべきは人の目でなく天の目です。自分は天の前に潔いだろうか?公明正大だろうか?天の道理に背いてないだろうか?… 自分の周りで横行している不義不正・不実に対しては、それまでよりも一層憤りを感じるようになっていることに気づきますが、被災地に生きる人たちが私に教えてくれた生きる姿勢は「天を恨まず、自分の道をまっすぐ一生懸命」です。完全燃焼の先に、ご褒美の頂けることを知っていますので、私もひたすら一生懸命、自分の道を進んでいこうと、改めて心に決めました。
来月、また、一生懸命握ってくれるあのお寿司を頂きに、行こうと思っています。