「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム バックナンバー 文⁄塾長 大山重憲

2011年8月

力(ちから)

石巻市の某中学校から教材提供の依頼を受け、直接届けに6月末から7月初にかけて再び被災地を訪れました。

訪れた中学校は牡鹿半島の海岸に面したところに建ち、敷地に下りていく急な坂道が続く正門からは、津波の被害に遭ったことなどまるで嘘か幻のように、のどかで穏やかな海がすぐそこに見え、物音一つしない静寂さが、むしろ不気味にさえ感じました。

校庭に下りていくと、津波で打ち上げられた牡蠣の養殖筏(いかだ)の浮や瓦礫が敷地の隅に積み重ねられ、人のいない校庭はひっそりと静まり返っていました。

車を止めて職員室を探しに校舎に向かっていくと、途中の花壇には、津波が運んできたと思われるゴミが散乱し、校舎の壁に積み重ねられた段ボール箱は、生活の混沌さを物語っているかのようでした。

職員らしき人に尋ねて職員室を探し当て、担当の先生と面会すると、「せっかくお越しいただいたのですから」と、その先生は当日から今日に至るまでの出来事を重々しく語り始めたのです。

地震の後、水深5メートルの海面がどんどん引いていき、目の届く限り海底が露出したので「大きな津波が来るぞ」と思って、生徒職員に声掛けして校舎裏の斜面をかけ上がった。轟音と共に水の壁が襲ってきて、校庭は一気に浸水し、校舎一階の半分の高さまで水が入ってきた。避難が早かったので幸い犠牲者はいなかった。当日は雪が降り、凍えながら避難所で一夜を過ごした。今でも校舎の3階は避難所になっており70人ほどが生活している。生徒の9割が被災し、校舎の3階で生活している生徒たちもいる。仮設住宅ができ次第、移っていく生徒もたくさんいる。転校していくことになるだろう。役場も被災したので、教室の一つが臨時の役場になっている。自衛隊が風呂を造営してくれ、結構立派で、露天風呂もあり、唯一の癒しとなっている。お陰様で救援物資は十分で、生徒たちの文房具なども足りるようになった。等々…。

校舎を出て、校庭に隣接する海岸に立ってその先生は「この辺一帯は牡蠣の養殖が盛んで、筏が所狭しと浮かんでいたんです。とっても静かで美しい風景だったんです。それが一瞬にしてね…」と、遠くを指さしながら、やるせない表情でポツリと話した後、黙ってしまいました。

返す言葉も見つからず、月並みで嫌だな、もっと気の利いた言葉はないんだろうかと不甲斐なく思いながらも、「頑張ってくださいね」と、やはり、そうとしか言いようがなく、励ましになったのかどうか、気持ちの置き場もないままに学校を後にしました。

復興支援。私個人には何ができるのかと、今もなお問い続けていますが、政府や地方自治体の力ではフォローしにくい市井の人々の、生活の中に入り込んだ部分に、個人としてのできる支援、というか、力添えがあるのではないかと、今回の訪問で痛いほど感じさせられました。

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