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今月のコラム バックナンバー 文⁄塾長 大山重憲

2011年7月

実行

私が宮城県の被災地を訪れたのは6月2日。巨大地震発生から3ヶ月が経とうとしている頃でした。名取市に入り、仙台空港、塩釜市、松島市、東松島市、石巻市、牡鹿半島の突端まで走りました。

自分の目の前に展開されている光景は、混沌・無残。如何に凶暴凶悪な極悪人でも、そこまではしないしできない暴虐行為。何でそこまでするんだと叫びたくなる破壊行為。自然の暴力。暴挙。酷さ。「一体、何をしたっていうんだ。何をしたからってこんな仕打ちをするんだ。するにしてもここまでしなくても…。」

復旧復興と一口に言っても、果たしてどうやってやるんだろうかと。もし、自分だったら…。地盤沈下で牡鹿半島の壊滅した小さな漁村は海水に浸り、至る所が地割れ・陥没。重機が入れる様子もなく、瓦礫の処理さえ手つかずの状況。テレビで報道されない小さな小さな漁村の皆さんは、津波から免れた個人宅に身を寄せて、避難生活を強いられているのです。

政治の指導力などが批判されていますが、この状況を見たら一概に政治の責任だけを問うのは如何なものかと。

事実、私は、被災地を訪れるまでは「震災の自分にとっての意味」なぞというものを、無理に当事者ぶって問いかけていた感があります。しかし、実際に訪れて以降は、震災の意味や、何らかの自然の意図というものを、問えない。問いたくない。問うたらいけない。問う必要もない。第一にしなければならないことは、未だに行方の分かっていない人たちの捜索であり、身元の分かっていない人たちの確認であり、一日も早くライフラインを復旧させることであり、福島第一原発の収束であり、山と積まれた瓦礫の処理であり、避難所生活から震災前の生活に回復させることであり、「復興」させることなのだと思うようになりました。実行こそが今、最も求められていることだと。

石巻駅前の商店街で、九分九厘シャッターが閉まっている中で、たった一軒、「営業しています」の軽食のお店の看板が目に留まり、少しためらいがちにドアを開けてみました。と、「いらっしゃいませー」の元気な声。若い夫婦で切り盛りしている風です。席に案内されて座りながらも、私は店の中を恐る恐る見渡してしまいました。「ここにも津波は押し寄せたはずだ…。でも、そんな様子はまったくないな。ここは免れたのかな。いや、そんなはずはない。」などと、注文したランチを食べながら考えていました。食後、当時の状況を尋ねると、その男性は、店は腰の高さまで水につかり、4日後にやっと水は引いたこと、什器はほとんどダメになってしまったこと、くよくよしていても始まらないから毎日掃除をして什器を購入して、やっと営業再開にこぎつけたこと、でも、何の補償もないこと、等々、苦々しい表情で語ってくれました。

被災地の人々と事情も気持ちも「共有」するなんてことは、あまりにもおこがましいことのように思えてなりません。被災された人たちは今この瞬間も、震災の現実のただ中に置かれているのです。

私たちが、彼らに力を得てもらえるようにできることを見つけて実行していかなければならないはずなのに、彼らの、前を向いて小さくても重くても一歩を踏み出している姿に、私達は逆に力をもらってしまっているようです。 店を出る時の若い夫婦の明るく元気な言葉、「ありがとうございました。頑張ります。」が、今でも私の耳の中をこだましています。再び彼らを訪ねた時、彼らはどんな表情で迎えてくれるだろうかと、期待半分、心配半分、というのが正直な気持ちです。

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